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書籍・雑誌

2018年6月18日 (月)

蜜柑(芥川龍之介)

高校の教科書に採用されているぐらいベーシックな芥川作品ですが、僕が初めて読んだのは小学校6年生か中学1年生のころでした。新潮文庫の「蜘蛛の糸・杜氏春」に収録されているので、流れで読みました。そのとき「なんて素敵な文章を書くのだろう、この人は!」ととても印象に残った記憶があります。

高校に入り、教科書に載っていて、授業に入る前に現代国語の先生が「この作品の感想文を書け」というので、芥川龍之介へのファンレターみたいなものを書いたら、「感心した感想文を書いた者がいる」とか言われて、次の授業で朗読されました。

「一部の隙も無駄もない簡潔な文章」「導入部の暗く鬱な心情描写から、最後に明るく終わる構成と、そこに色彩を持ち込んだ点」「活き活きとした映像が目に浮かぶ描写表現」などを指摘し、芥川龍之介の文章は完璧だと持ち上げる内容だったと記憶しています。まあ、普通の国語の先生が「この作品はだな~」と解説する範囲内ではありますが。
子どものころ、この作品に心を惹かれた感性がそのまま、いま矢作俊彦さんの本を読むときに刺激されているのではないかとふと思いました。矢作さんの文章はまさに綿密に吟味された文章表現で、映像が活き活きと浮かび上がり、風景描写が心情描写を兼ねていると。まあ、ご本人はわかっていてそうしているのでしょうが、そういう作風の作家さんは少ないです。文章より、内容が面白けりゃいいんだろ? おう? みたいな人が多い。

2018年4月22日 (日)

アキラとあきら(池井戸潤)

配偶者が図書館で借りてきてくれたので読みました。最初のほう、暗い話だから読みすすめるのが若干苦でしたが、わかりやすいキャラ設定とわかりやすい展開なので、それを頼りに読んでいるうちに、3割ぐらい読んだら面白くなってきました。最後、どうやって解決するのかというところが、どんでん返しでもとんでもないアイデアというわけでもなく、「何かしょぼいな~」と思いましたが、確かにまちがいない方法だから納得できました。

すぐ僕が引き合いに出す矢作俊彦さんだと、登場人物のキャラクターが一言で表せないのですが、それがリアルで面白いんだろうと思いました。実際、完全な悪人も善人もいないし、同じ人でも状況によって判断や立ち位置が変わるのがリアルですが、多くの物語ではそういうキャラクターの変化がカメレオン的ではなく平面的です。逆に、矢作さんの本のわけのわからなさは、そういう「この人は良い人? 悪い人?」がわからなくなるからでしょう。というか、みんないい人に書いてあるような気が個人的にはします。「世の中にはいい人しかいないんだよ」という矢作さんの優しさの現れでしょうか? そのルーツは手塚治虫マンガのような気もしますが、いい人が時として過って悪いことをしてしまうという。

2018年3月18日 (日)

だれかの木琴(井上荒野)

映画を観たので原作を読んでみました。映画の細かい描写の背景がよくわかり、映画が原作におおむね忠実なものだけど、いろいろ差もあることがわかりました。映画でイチゴだったところがサクランボだったり、スティックキーがリモコンキーだったり。

それより何より、原作は女性が書いていて、映画は男性が監督(と脚本)だということ。だからでしょうか、僕は映画のほうに強い説得力を感じましたが、原作からは「女性は怖いな」と改めて思いました。特に、映画で僕が強く印象に残った「妻はストーカーなんかしない」とご主人が言うシーン、ここの部分がより詳細に原作には書かれています。「う~ん、そうなのか~」と思いました。というか、より深く描かれているというか。

映画のほうがお嬢さん(娘)がかわいいです。原作はただ憎たらしい感じ。原作にないシーンが映画にある一方、映画には原作から省かれた内容もあります。映画のほうが丁寧に作られている印象を持ちつつ、特に冒頭は原作を読んでおかないとよくわからないかもしれません。ぜひ、両方見ることをお勧めしますが、個人的には映画だけ観てもいいと思いました。

2018年3月 6日 (火)

騎士団長殺し(村上春樹)

昨年の2月末発売の話題作を、今ごろになって読みました。何でもかんでもネット検索できてしまう昨今、あえて予備知識なしで読みはじめました。

しばらく読んでいて、「?? なんか矢作俊彦さんが乗り移ったのか?」という違和感を時折感じながら、でも相変わらず穴に潜ったり空間を抜けたりのいつものパターンもあって、安心して読めました。特に最後のオチのつけかたは、今までになくモヤモヤしない落ち着いた(でもやっぱりスッキリはしない)結末で、村上さんも年を取ったのだろうと思いました。

矢作俊彦さんぽいのは、「私」が主人公で、具体的な固有名詞や名称をふんだんに出した描写が細かいからでしょう。更に、終盤の「お前がメタファーだなんて、どうも信用できないな。殺すしかない」なんて、二村永爾が言いそうな台詞です。

2017年9月 3日 (日)

ライアの祈り(森沢明夫)

青森三部作の最後。これまで読んだ森沢明夫作品とは違う展開というか雰囲気(ありえないファンタジー風)が新境地だと思いましたが、しかしこれが終盤までかなり展開が眠い。一応、今まではダラダラながらも続けて読めていたのですが、これは途中で10回以上眠ってしまいました。個人的に、ファンタジー物に適性がないとはいえ本当に眠い話で、何度も途中放棄しようかと思いましたが、せっかくの三部作の最後だからと我慢して読んでみたら、結局最後はいつものパターン(いい話だけど、何か薄っぺらい)に戻ったように思いました。

三部作の中では、2つ目の「青森ドロップキッカーズ」が一番マシかと思いました。次が1つ目の「津軽百年食堂」かこの「ライアの祈り」かで迷うところですが、同点2位にします。「津軽~」は津軽蕎麦というおいしそうなメニューが登場するところで点を稼ぎますが、「ライア~」も最後の展開は(それまでと比較して)なかなかいいと思ったので、この二つは甲乙つけがたい。

森沢明夫を勧めてくれた人は、あと数作で全作品読破だそうですが、どうも僕は好きじゃないと言うか、映画やドラマ化されたら観ようと思う程度の好感度なので、たぶんしばらくこの人の本からは遠ざかると思います。戻るなら、また原田マハに戻ろうかと。まだ原田マハのほうが、僕の好みに合うというか、読み返そうと思います。とにかく、森沢明夫さんには緊張感と濃密感が薄い。読んだ後で、何だか損した気がするんですよね。

2017年9月 1日 (金)

青森ドロップキッカーズ(森沢明夫)

青森三部作の2つ目。主にカーリングにまつわるお話。1つ目の「津軽百年食堂」よりは面白く読めましたが、2回目を読もうと思わないのは相変わらず。中学生のいじめの内容も出てくるのですが、例えば荻原浩さんのような爽快(心地よい不気味さ)な扱いではなく、なんとなく読んでいて辛い描写と言うか表現になっているところが特徴でしょうか。

よく、この作者の話は「泣ける」と言われますが、大衆演劇の「泣ける」であって、なんとなく底が浅いというか、どうも心から「いいですね~」とは言えないところが歯がゆいと思います。いいお話なんですけれども、ちょっと物足りないような。教養が足りないと言うと悪口になってしまいますが、そんな感じ。

実際に綿密に取材したり勉強したりしてしっかり書いているのだけど、その取材内容が著者の中でじっくり熟成していなくて、活きはいいけど深さがないという感じでしょうか。すでに三部作の3つ目「ライアの祈り」を読み始めていますが、これは新境地な感じがしています。

2017年8月30日 (水)

津軽百年食堂(森沢明夫)

森沢明夫にハマっていて、あと数作で完全読破だという人に以前勧められ、「虹の岬の喫茶店」と「癒し屋キリコの約束」を読んだとその人に報告すると、「次は青森三部作なんかどうですか?」と言われました。この人の本は面白くないわけじゃないし、定期的に会うから無視するわけにもいかないので図書館で借りて、まず第一作目「津軽百年食堂」を読みました。

百年の歴史のある津軽蕎麦を出す大衆食堂に関係する人々の話。映画にもなっているそうです。まあ、普通にいい話だと思いました。この人の本はいい話だとは思うのですが、2回目を読もうとはあまり思わない、読みやすいけど軽いというか一本調子というか、そういう作風なのが弱点だと思います。読者の解釈の余地が少ないこともあって、映像化しやすいでしょう。実際、映画やドラマになることが多い。

津軽蕎麦が食べてみたくなりましたが、物語の舞台となる「津軽蕎麦を出す百年の歴史がある大衆食堂」が弘前には10軒ほどあって、でもそのほとんどが中華そば店らしいです。伝統的な津軽蕎麦は、作る(蕎麦を打つ)のが面倒で、幻のメニューとなっているとのこと。つなぎに大豆をすりおろした呉汁を使うのが一番の特徴だそうです。

2017年8月24日 (木)

母性(湊かなえ)

湊かなえの本を読んだことがあると思っていたら、初めてだったみたいです。ドラマ(夜行観覧車)や映画(白ゆき姫殺人事件・告白)やマンガ(少女)になっているものを観て、勘違いしていたようです。さらに、この人は1973年1月生まれらしいから、同級生です。

配偶者が「読んでいて怖くなったから、読んでみて」というので読んだのが「母性」。なるほど、母親が読んだら怖くなりそうだとは思いましたが、父親というか男性としては、ただただイライラする本でした。娘と母と祖母(祖母は母の母と父の母の両方)という4人の女性が話の中心になります。他に父の妹2名と母と父の共通の知人1名という3名の女性も出ますが、脇役。男は、父と祖父と父の妹の子の3人。脇役というか、大したことはしません。

という女性ばっかりの面倒くさい気持ちのすれ違いが延々続くところにまずイライラさせられ、母のダメさでまたイライラ。男のマザコンはよくある話ですが、女性のマザコンというのもいらっしゃるんですね。

そういう、勉強にはなるけど、二度目読んでみたいとは思わないような話でしたが、最後無理やりハッピーエンドになっていたのが救いでした。かなり強引ですが、まあ説得力がなくはない終わりかた。

2017年8月20日 (日)

長期不定期連載。

週刊新潮で矢作俊彦さんの連載が始まりました。「豚は太るか死ぬしかない」という、どっかで聞いたようなタイトルです。小説や物語ではなく、エッセイというのかコラムというのか、実話か創作かもわからない、でも見開き2ページだから他の連載より長いものでした。

記念すべき1回目の題は、「夏のマドリード 鰻の稚魚を思う」というもの。配偶者が「いつも、途中まで面白いんだけど、最後で何を言っているのかがわかんないんだよね、この人」との感想を述べておりました。言われて読み返すと、なるほど、そうだなあと思うのですが、いいじゃん、入試の試験問題じゃあるまいし、途中が面白ければ。とにかく、ウナギは鰻屋で食べたいんですよ。

それはそうとして、買ってから初めてわかった「長期『不定期』連載」という文字。「不定期」っていうのは、文字通り毎号載っているかどうかわからないという理解でよいのでしょうか? その理由について詮索はしませんが、とにかく「長期(中略)連載」だから、ある程度末永くお楽しみが続くということで、また生き延びる希望が1つできました。という人が多いような印象を持っています。

2017年7月29日 (土)

ARAKURE あらくれ(矢作俊彦・司城志朗)

「ゴールデンコンビ」と一部では強い支持のある矢作俊彦&司城志朗によって書かれた、たぶん初めてじゃないかと思うのですが、日本人を中心として日本での冒険話。今まで外国人や外国を舞台にしていて、我々日本人には人名や地名を覚えるだけでまず一苦労だったのですが、そういうハードルを取っ払った会心作。純粋にストーリーを追えます。

しかも、あまり血が出ません。人もほとんどお亡くなりにならない。持って回ったような気どった言い回しもなし。それじゃあこの二人の作者の魅力がなくなっているのかというと、そんなことはなくて、純粋に楽しく面白く読めました。今までは人に勧めるのが憚られましたが、これなら誰にでも勧められそうです。

あらすじを書いてもこの本の魅力は伝わりませんが、要するに幕末の刀が蔓延るご時勢に拳銃とライフルを得たヤクザ者が「俺たちはギャングだ」と賭場荒しをすることから始まり、やがて悪どく金稼ぎをする人の財産を強奪して貧しい人に配るようになり、講談師と仲良くなって自分たちの宣伝をしてもらい、やがて幕末の混乱に巻き込まれるという内容。

途中から著名なアメリカ映画“Butch Cassidy and the Sundance Kid(邦題:明日へ向かって撃て!)”と“Bonnie and Clyde(邦題:俺たちに明日はない)”を思い出しますが、結末もそんな感じ(より前者に近い内容)でした。とはいえ、僕たち世代にとってアメリカン・ニューシネマは身体感覚になっています(ハリウッド流ハッピーエンドには説得力を感じない)ので、たいへん納得のいく、説得力のある結末だと思いました。というか、アメリカンニューシネマより、体制側への配慮がすすんだ、よりフェアな結末です。グウの音も出ません。

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