書籍・雑誌

1Q84

配偶者が図書館から借りてきてくれたので、読みました。村上春樹さんの長編ものは、気合を入れないと読めない難しさというか重さがありますが、この「1Q84」はそうでもありませんでした。もちろん、相変わらず難解というかよくわからない非現実的空想的内容(いわゆる「春樹ワールド」?)が盛りだくさんなのですが、読み始めると停まらないというか引き込まれるというか、そういう読み物でした。

ひと言では言い表せない、SFあり冒険あり親子の物語ありカルト宗教に関する内容あり、そして恋愛ありの多面的な小説ですが、個人的には(というか多くの人がそうだと思いますが)「青豆」と「天吾」の離れ離れになっても20年間育み続けた愛の物語が、もっとも深く印象に残りました。実際にありえるかというとまずありえないそういう美談が、妙に説得力を持って描かれ、かつ共感できるところがすごいと思いました。

来年続編が出るそうで、ということはまだ未完ということで、実際まだ解決されない謎が残ったままというか、中途半端な状態で終わります。「青豆」は首都高速であのままお亡くなりになったのか? それだけじゃないですが、続編が大変楽しみです。

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ノルウェイの森における言葉の疑問

映画化されるというので、また読み返してみました。何度読んでも読み甲斐のあるいい読み物だと思いますが、今回気になったことのひとつに、言葉の問題があります。舞台は東京が中心で、たとえば「僕(ワタナベトオル)」は直子と都内を歩くし、大学は都内にあるし、緑は大塚の書店の娘なんですが、「僕」も直子も神戸出身で、阿美寮は京都にあるわけです。

とすれば「僕」と直子の会話は通常関西弁のはずで、百歩譲って文字にすれば標準語だとしても「京阪式アクセント」で発音しているのではなかろうか? という気がしてきました。少なくとも京都での描写で、レイコさん以外の人の会話表現は、明らかに関西(京都の人の話す言葉。市内じゃないから京訛りとまでは言わないけど)弁です。関西人が東京の大学に行くと、文字にした言葉が標準語(でも京阪式アクセント)になるというのはよくあることです。

作者の村上春樹さんは、京都で生まれて神戸で育った人ですから、少なくとも「僕」と直子(とキズキ)の会話を京阪式アクセントで読むと(関西人にしかわからない世界の話ですね)、表記が標準語的だからかなり無理があるんですけど、よりリアルな気がしました。

もちろん、映画は100%標準語で撮影するんでしょう。「白い巨塔」がそうだったように。

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冬のひまわり(五木寛之)

鈴鹿8時間耐久ロードレースを舞台とした恋愛物語で、1985年に発表されました。五木寛之の作品を読むのは初めてですが、瑞々しいというか新鮮というか繊細で透明感のある読後感がありました。一度読み、続けてもう一度読み返し、その後も旅行や出張のたびにカバンにいれて何度も読み返しています。内容がヘビーじゃなく長くなくちょうどいいんです。

この本を買おうと思ったのは、鈴鹿サーキットのグランドスタンド1コーナー寄りにこの本の登場人物二人の「出会いの場所プレート」があって、しかも8耐の話だというので。新品を買ってもいいのですが、ケチなので古本屋のジャンクコーナーを探して100円で買いました。

台風の最中に沖縄のホテルの屋外ジャグジーに入ってオリオンビールを飲みながら2回読んだあと、強風にあおられて水没させてしまいましたが、一応まだ置いてあります。また古本屋で買いなおそうと思います。

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大どろぼうホッツェンプロッツ

51ha0tcejyl 僕が子供のとき(たぶん10歳ぐらいのとき)にクリスマスプレゼントでもらった児童書で、「ふたたび」と「三たび」をあわせて3部(3冊)あります。

その本は従兄弟にあげましたが、数年前児童文庫本になっているのを見つけたので買って読み、書架に置いてあったのを子供たち(6歳と4歳)が「読んで」というので、寝る前の読み聞かせで読んであげたら大ハマリ。小学生向けで絵本ではないので、全部読んであげるにはボリュームがありすぎるので、毎晩せいぜい2話(2章)程度ずつ読んでいますが、「昨日のところをもう一回」などと同じところを何度も読まされます。

ドイツの作家の本なので、ちょっと日本とは風景や文化が違いすぎますが、子供たちが引き込まれる魅力があることには違いありません。僕個人としては「三たび」で、森の中でバーベキューをするところと、大どろぼうがレストランを始めることになるところが一番好きでした。やっぱり昔から、食べ物のことにしか興味がないのかもしれません。

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