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2016年9月29日 (木)

同志を失うということ。

大学のときに同じ団体で協同した「同志」が3月に亡くなっていたことがわかりました。卒業後はずっと定期的に会っていたのが、お互いまったく違う世界に就職し、彼は独身・僕は家庭持ちとだんだん生活環境が違ってきたこともあって疎らになり、一昨年の春ごろに1年以上振りに会ったのが、直接会った最後の機会でした。昨年の今ごろ、ちょっと電話で話したのが、最後の会話になります。

もともと原因不明というか、原因はわかっているけど誰にも話さなかったのか、異様に血圧が高く、そのくせ大酒飲みのヘビースモーカーで、アレルギーや肩こり腰痛頭痛持ちで常に医者を数件掛け持ちしており、「運動しろとは言わないから、少なくとも酒を控えて断煙しないと死んでしまうよ」と会うたびに忠告していたのですが、果たして脳卒中(梗塞か出血かは不明ですが)で突然倒れて病院に運ばれ、結局亡くなったそうです。

「同志」とは、一般に「同じ目的のために協力する仲間を指して、社会主義者が多く好んで用いる」言葉だそうです。普通は「友だち」、照れくさいから「仲間」か「仲よし」とでも言うべきなのでしょうが、二人ともまったく社会主義者ではないのに、「同志」と呼んでいたのは大学のときのことがあるからでしょう。「戦友」と言いかけたこともありましたが、別に誰かと敵対して戦っていたわけではないから、それは違うだろうということになり、やっぱり「同志」がいちばん相応しいだろうということになりました。

最近はずいぶん距離を置いていたとはいえ、大学のあのときのあの記憶を共有する仲間の中でも、最も近い内容を同じくする「同志」を失ったことは、たいへん寂しいことであります。記憶は年々薄れ行くものだし、時折思い返して確認と修正しないとどんどん自分の都合のよい方向に変遷してしまうと思いますが、それができなくなったことが悲しいことでもあります。

しかし、いちばん思うのは、自分が親になったからでもあるでしょうが、親に自分の葬式を出させるというのはとんでもない親不孝です。故人に言っても仕方がないけれども、どうしてもっとがんばれなかったのか、がんばれない理由があったのなら教えてほしかった。力になれたかもしれないし、なれなかったかもしれないけれども。

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コメント

やはり酒量が多かったか。ショットバーに単独でも行くとは意外なストレス発散と思ったものだが…。
限界点を超えれば攻撃的なほど意思を表明したように記憶するが、それでも圧倒的に抑えていた量が多かろう。終生、他人にうち明けることが少なかったのは歯がゆく思っていた。が、その抑制自体が彼の頑張りということなら、今となっては受け入れるほかはないか…。貴殿の最後の一文、私もまったく同感。寂しいことではある。

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